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今、聴くなら…

  • 執筆者の写真: Maki Ishimine
    Maki Ishimine
  • 2020年4月10日
  • 読了時間: 2分

さっき気付いてしまった。自分の気持ちについて。楽しいとか弾んだ気持ちがいつからか何処か遠くに行ってしまったようだってこと。普通に過ごしていて、ううん、家での生活の様々な場面をいつもより丁寧に繕っていて、その事で得られる小さな充足感を抱きしめては、「これでいいんだ」って納得している。だから平常心でいるんだろうとばかり思っていたよ。でも違った。


弾んだ気持ちの時に聴くレコードたちを、なかなか聴けないでいる自分を見つけてしまったのは、ケヴィン・エアーズのレコードを引っ張り出して戻した、その時だった。そうやって、こんなの聴こうかなって棚からレコードを半分引いて、やっぱり違うとまた戻すということは、もう何日か前からの事だった。外に向かって内面を放つようなタイプの音楽は今全然聴きたいと思えない。もともと自分の内面に向かい合う音楽の方が好きだけど、ロックとか明るく洒落たポップスとかを、ここまで欲しなくなっている自分がいるということに、ちょっと戸惑う。


そうと気付かないうちに、世界的な不安に飲み込まれている。世界中にギュッと蓋が被せられたような閉塞感に心が萎んでしまっている。全世界的に「自由」を失うってこういうことかなって思う。怯えた心はその脆さゆえに必要以上に鎧をまとって強がったりしてしまう。それ故、攻撃的になることもあるだろうし、逆に自虐的なほどに落ち込むこともあるだろうし。


すでに生活が疲弊している人が、私の周りにも何人もいる。でも、祈ることしかできない。私にできることないかなって思うけど、今は祈ることしかできなくて、本当に胸が痛い。悲しい。


こんな気持ちにロックを注入するとどうなるんだろう。一人ぼっちでそうしたって、わざとらしいだけじゃないかな。だったら、誰かを強く思うために聴こう。その人と共有していた音楽を。それがロックならそれを聴こう。今、聴くなら一人じゃなくて誰かを思って聴いた方が、たとえ自慰だと言われてもましだな。



 
 
 

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