39年間ありがとう
- Maki Ishimine
- 2020年6月21日
- 読了時間: 2分
更新日:2020年7月17日
4時に目覚めたら、もうカーテンの向こうは薄明るくなっていて、鳥が鳴き始めていた。今日は夏至。長く、濃い一日になるに違いない。なぜなら今までのピアノと別れ、新しいピアノを迎えるのだから。
10時からピアノ移動の作業が始まるので、雑事を終えるとすぐにピアノを磨いた。こっくりと黒い鏡面を柔らかな布に適度な力を込めて磨き上げる。自分の姿が写り込み、どんな顔をしているんだろうと見つめてみた。暗いとも明るいとも言えない、少し遠い目をしているような自分がいた。愛着を噛みしめ、もっともっと大事にしてあげればよかったと思ったりする。もう音は出さず、私のピアノと最後に過ごす静かな深い時間だった。
運送業者さん三人と調律師がやってきて、段取りをつけるとすぐに移動が始まった。ピアノは縦になったり宙吊りになったりしながら、あっけないほど短い時間でトラックに積まれてしまった。新しいピアノが元の空間を埋めるのも、あっという間のことだった。
トラックの荷台を見上げながら、意味もなく後ろめたくなった。ごめんねと言う気持ちなんだろうけれど、やっぱり言葉にはならなかった。でもその気持ちをぐっと押しつぶして、この子の新しい持ち主さんとのこれからの時間に思いを馳せた。おんぼろの子がいくとは十分お話ししたけれど、それでもいいですと言われて貰われていくのだけれど、どうかどうか喜んで迎えてもらえますように。笑顔で弾いてもらえますように。そう力一杯祈った。
トラックは平然としたスピードで走り出した。見送り、手を振り、お辞儀をした。
ついさっき、新しい持ち主さんから電話をいただいた。長年ピアノ教師をしていた方だ。「いい音じゃないですかぁ」と、弾んだ声で言ってもらえた時、堪えきれなくなった。よかった。老後の楽しみと仰るその方との優しい時間に、あの子がどうかよく仕えますように。私のピアノでなくなったあのピアノの今の音色を想像した。
39年間、本当にどうもありがとう。



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